このくにのサッカー

岡田 武史 × 賀川 浩

対談風景

対談相手プロフィール

岡田 武史(おかだ たけし)
(写真右)(写真:中島真)
天王寺高校、早稲田大学、古河電気工業でプレーし、サッカー日本代表として国際Aマッチ24試合に出場。指導者としては、コンサドーレ札幌、横浜F・マリノス、杭州緑城足球倶楽部の監督を歴任。1998年、2010年の2度のワールドカップに日本代表監督としてチームを率い、2010年には1次ラウンド突破を果たす。現在はFC今治運営会社「株式会社今治.夢スポーツ」代表取締役、日本サッカー協会副会長。

対談の前に

 ワールドカップでの実績という点で、岡田武史監督は日本サッカー史のなかでトップにいる。今治で新しい仕事に取り組む、その姿を眺め、久しぶりにゆっくりと話を聞きたいと、四国へ車を走らせた。

 1969年の初対面当時に、まだ中学生であったこの人の、人なつっこい笑顔は変わっていないが、いつもサッカーを考え、日本を考え続けている姿は、誠に頼もしい。いつものことながら、古くからの仲間との語り合いはあっという間に終わってしまったが、日本サッカーの幅広く、着実な進化を感じることができた。

※この対談は、FC今治の2016年度の四国リーグホーム初戦となった4月17日(日)のllamas高知FC戦(@今治市桜井海浜ふれあい広場サッカー場、1-0で勝利)のあとに行われた。

対談

街に根付いていくために

岡田:わざわざ遠方までありがとうございました。

賀川:今日、グラウンドを大勢の人が取り囲んでいるのを見たときに、1959年の第1回アジアユースサッカー選手権大会にマネージャー兼サブコーチとして帯同し、高橋英辰監督のもと、マレーシアで試合をした時のことを思い出しました。グラウンドのまわりに小さいスタンドがあって、そこで日本のユース代表が試合をしました。

岡田:昔はマレーシアあたりに試合に行くと、ピッチの周りに大勢の観客がいて、ボールが出ると、蹴って戻してくれたりしました。

賀川:サッカーがこうして今治という街に根付いていくのを見ると、50年以上前のマレーシアを思い出すとともに、日本のサッカーもここまできたか、という感じですね。愛媛県では旧制松山高等学校が強くて、ぼくも大学の予科のときに試合をしました。

岡田:それ以降だと、南宇和高校の優勝がありましたね。

賀川:愛媛は野球はずっと盛んだったけどね。

岡田:今日も「2000人プロジェクト」と言って、2000人動員して、試合内容も圧倒して勝つ、という目標だったのが、どちらも達成できなくて、がっかりしています。

賀川:この街の人口は?

岡田:16万5000人です。

賀川:バイエルン・ミュンヘンは、150万人くらいの人口で7万人入るわけやけど、それは100年の伝統があるからね。これから50年かけると、この街がどうなるやろね。

岡田:ぼくらは10年後には、1万5000人のスタジアムを一杯にしたいと思っていて、来年には5000人のスタジアムを自前で作ります。JFL、J3対応のスタジアムを3億円ほどで作るんですが、次は7年後に1万5000人の複合型のスタジアムを計画しています。スタジアムを満員にしないと、スポーツビジネスは成り立たないですから、今日も満杯にすることに取り組んだのですが、それができなかったことは悔しいです。

賀川:ドイツだと人口2万人の街に2万人収容のスタジアムがあるからね。

岡田:ホッフェンハイムなんて人口はと少ない(約3万5000人)けど、3万人のスタジアムが一杯になりますよね。信じられないですよね。

同じことをしていては勝てない

賀川:ヨーロッパのサッカーを見ていると、「天賦の才能」ということをいつも考えます。メッシなんか、どうやったらああなるんだろう、と。小さい頃に見つけてきて育てているから、ということはわかるんですが。

岡田:日本代表でも、わからないもんだな、と思う選手はたくさんいますね。本田(圭佑)なんて、最初見たときは「どこまでいけるかな」という感じで、まさかあそこまでいけるとは思わなかったし、長友なんて「この下手くそ」と思っていたのが、いまやインテルのゲームキャプテンですからね。

賀川:やはりそれは、練習の積み重ねですね。努力するのも才能のひとつなんですよね。

岡田:努力というか、考え方なんでしょうね。将来の夢を信じて、「自分は絶対にこうなるんだ、だから今がまんするんだ」ということを考えて、自分を律することができるかどうか。軽く夢を見て、「なれたらいいな」程度だと、つぶれていきますね。「がんばれば日本代表になれる可能性があるぞ」とこっちが言っても、本人がその気にならないとだめですね。本田や長友は、そんな考え方をしっかり持っていましたね。

賀川:岡田さん自身は高校のころに、そういう目標はありましたか。

岡田:ずっとドイツに行ってプロになりたいというのが夢でしたが、高校を卒業するころには、「今の力じゃ無理だ」とわかってきました。日本代表になっても、まだ行きたいと思っていました。34歳になる年に、バイエルン・ミュンヘンが来日(1990年1月のゼロックス・スーパーサッカー)して、日本選抜と国立(競技場)で試合をして1-2で負けました。(カール=ハインツ・)ルンメニゲがまだ一番の若手で(クラウス・)アウゲンターラーがキャプテンでした。僕は選抜のキャプテンをやっていて、いい試合をして、皆ほめてくれましたが、そのときに「オレがどれだけ努力しても、彼らには追い付かない」と思いました。何が上手いということではなく、次元が違うと感じました。それで引退しました。それから、どうすれば彼らに勝てるかをずっと考えました。

賀川:そのころのバイエルンは、ドイツ中からいい選手が集まっていたからね。

岡田:ポンとワンタッチでボールを止められて、スッとかわされて、「どうしようもないな、努力で上手くなってというレベルじゃないな」と感じて、「このままじゃ日本人は絶対に勝てない」と思いましたね。釜本さんだけは、彼らに負けていませんでしたね。
 それから巡り巡って、日本代表の監督になってからも、ずっと考えてきました。(デットマール)クラマーさんにドイツ式の指導を学んだりしてきたけども、ヨーロッパの選手と同じ道を登っていては、彼らには絶対追い抜けないんじゃないか、日本人らしい道を登らないといけないんじゃないか。日本が勝っている競技を見ると、ウルトラCだとか、回転レシーブだとか、新しいものを生み出している競技。10年後に日本が世界で勝つためには何なのか。クリスティアーノ・ロナウドやメッシをつくる努力はしなければいけないけども、そんなに簡単には出てこない。日本人にできることは、ボールの近くで数的優位をつくること。日本人は25メートル以上のパスを蹴るとミスする確率が高いから、25メートル以内のパスをつなぐ。大西鐡之祐さんの言われる「接近・展開・連続」ですね。守ってカウンター、というのも相手によっては使うべきだけども、一人で勝負できる(アリエン・)ロッベンのような選手もそうそう出てこないですからね。でもそんなに簡単に数的優位をつくって崩していけるわけでもない。
 今日の試合でもやっていたんですが、うちの(ボールと)逆のサイドバックは、中盤に入るんです。「サイドバックはなんでサイドにいないといけないんだ」というような新しい発想でトライをしています。いままで定石と言われていたものじゃない、日本独特の日本人の定石をつくって、16歳までにそれを落とし込んで、後は自由にさせる。日本では子どもの間は「楽しめ」と言っておいて、16歳ぐらいになると戦術を教え込むんですけど、その逆をやってみよう、と。そうすると、自分で考えることのできる選手になるのではないかということです。

15歳のプラティニ

賀川:日本にやってきたトップ選手にインタビューさせてもらう機会が多かったので、いつも聞いたのは、15、6歳のころに一番好きな練習は何だったか、ということ。

岡田:なるほど、なるほど(と身を乗り出す)

賀川:(ミシェル・)プラティニはハーフウェイラインにボールを置いて、ゴールに向かって蹴っていたというんです。

岡田:へえ、すごいなあ。

賀川:50メートルのコントロールキックができるんです。そうすると、30メートルのフリーキックなんて簡単ですよ。それを面白いと思ってやりだせば、自分の持ち芸になるわけですよね。日本人がそうなるのはもう少し後、18歳くらいかと思っていたけど、今の岡田さんの話を聞いて、なるほどやはり15、6歳で形ができないと。

岡田:日本の15〜16歳への指導は、その頃まではフェイントだ、ボールコントロールだとテクニックばかりで、あまりにもキックを大事にしないですね。(ディエゴ・)マラドーナも、プラティニも、(ヨハン・)クライフも、共通しているのは、狙ったところに、狙った質のボールを蹴れることですね。

賀川:そうです!

岡田:それができないと。サッカー選手なんだから、ボールを止めようがファインとしようが、最後は必ずボールを蹴るんだから。

賀川:メッシだって、ポンと蹴ると、30メートルほどのパスがピシッと通るもんね。キックのうまさですよね。蹴れなきゃつなげないし、蹴れなきゃゴールにならないですよね。それが今の日本に一番欠けているのは確かです。

岡田:「子どものころに、もう少しボールを蹴ることを大切にしないと」と言うと、「子どものうちはボールテクニックだ。ドリブルやらせときゃいいんだ」と怒る指導者もいるんですけどね。

賀川:それでドリブルで5人抜ける選手が出ればいいけどね。要は自分の思ったところにボールを置ければいいわけです。身のこなしのうまい子ならドリブルで相手をかわせるようになるけども、そうやって、一人抜いてゴール正面、そこでシュートが打てるのに、そこからまたパスをするようなサッカーになってしまうのはどうかね。

岡田:今日もそんなプレーがありましたね。頭に来ました(笑)。「そこは縦で押し込め!」というところで横パスが出てしまう。

賀川:それは、普段から、前を向いて蹴る、という意識がないからですよ。

岡田:たまにクロスを上げたりするとミスキックになるんです。キックに自信がないから安全な横パスばかりしてしまう。

賀川:横パスも、しっかり蹴るサイドキックではなく、撫でるような横パスで、スピードが遅い。

バルセロナの「秘密文書」

賀川:今もう一度、見直してみたいのは、僕らが戦前の神戸一中でやっていた、「ポジションプレー」です。左ウイングなら左足でクロスを上げる。元々の左利きではない者は、中へドリブルで入ってきてもいい、とか、右ウイングだと右足でどんなキックでもクロスが蹴れるとかね。上級生がそれぞれのポジションのレギュラーで、下級生が入ってくるとポジションをやらせてみて、できなければ他のポジションをやらせてみるんです。

岡田:昔はそんな感じだったんですか。

賀川:ピッチの大きさは決まっているから、あるポジションでできることは決まっているわけです。クロスをあげるなら、手前の相手選手の頭を越さなければならない。そのためには、どんな蹴り方が必要かを考えることになる。それをポジションプレーとして身に着けていったんです。

岡田:今は全員に平等に、同じような基本プレーをさせますからね。

賀川:足の形や蹴り方はそれぞれで、クロスをあげるのが得意な選手も、不得手な選手もいるわけですよ。まっすぐにドリブルして、まっすぐシュートするのが上手な選手もいる。それぞれの選手たちを得意な場所に置けばいいんですよ。その選手の一番得意なキックの角度がどのポジションで役に立つのか、という組合せを、今はもうちょっと考えた方がいい。ボールを持っている選手が「主」なんだから、自分がいい角度で持てる場所にいればいいわけですよ。それが自ずから、その選手のポジションということになる。

岡田:日本にはずっとそういう考え方がなくて、「全員がローテーションして、トータルサッカーで」ということだったけど、それはやはり無理で、ポジションプレーがしっかりできないといけない。今、ぼくが考えているのは、まわりの選手が布石になって、中央の4人がローテーションしていくだけで充分ということです。僕が若いころは「ウイング」はシューズに白い石灰が付くぐらい外を走れとか言われたけども、最近は「ワイドアタッカーの役割は何か」、「ポジションの役割」ということが言われなくなりましたね。

賀川:今はむしろ、ヨーロッパのほうが役割がきっちりしているんじゃないですかね。

岡田:バルセロナには分厚い本があって、「詰めてきた相手が間に合わないときは、相手のかかとのところにワントラップして中へ入る」とか書いてある。「これは凄い、選手は皆読んでるの?」と訊いたら「全部理解しているのはほとんどいない」とか言っていたけども(笑)、それを作っていることがすごいじゃないですか。僕らもそれを目指しています。何十年もかかるでしょうが、そこは積み重ねですからね。

賀川:バルセロナを見ていると、日本のチームのようにむやみに走り回っている感じはないけど、皆がすーっと動いていて、ボールを持っている選手が一番パスしやすい、相手に取られないところに必ず誰か一人いる。ちょっと難しいところにも一人。そうしてパスの選択肢が広がる。

岡田:うちはスペイン人のコーチと契約しているんですが、彼が言うには「サポートにもいくつかの種類がある」と。プレッシャーをかけられて緊急のときは、「(1)緊急のサポート」。でもフリーだったら、寄っていく必要はなくて、離れてもらった方がいいだろう。「これは(2)」。「ボールをもらえば敵と入れ替われる場合は(3)」。6種類のサポートを考えたんです。それまでポゼッションの練習をしていても全然ボールがまわらなかったんですが、今は(1)なのか(2)なのか、と声に出すようにした。そうすると、味方と敵の状況を見るようになる。見なければ声を出せないから。そして今ではパスがぽんぽんまわるようになった。要は、そういうことを15、16歳までに、きちんと教えてやれるかどうかです。

賀川:なるほどね。

岡田:静的と動的という考え方があって、例えば相手が前からプレッシャーをかけてきているときは敵の選手の間に立って動かない方がいい。ところが今日の相手のように4-4-2でブロックを作って守ってきたら今度は動かないといけない。動いて突破口を作らなければならない。「間に立て」というと日本人はずっと立っている。「動いてスペースをつくれ」というと、ずっと動きまわっている。「まず敵がどういう戦い方をしてどこにいるのかを観て、止まってパスを受けられるなら止まってていい。だめなら動いてスペースをつくるんだ」と状況ではなく原則で説明すると、選手にも理解が進んでくる。

賀川:頭のトレーニングをやって、実際の試合でできるようにするんですね。

岡田:そうです。全員が阿吽(あうん)の呼吸で、ポジションとタイミングが合うなんてなかなかないですから、ある程度の役割とかルールを決めてやらないと難しいですね。自分でも「これまで長年何を指導してきたんだろう」と目からうろこが落ちる思いが結構あって、それまで「サッカーは理屈じゃない、個々の選手が判断するんだ」と思ってきたけども、ある意味、数学的なんです。実際の試合では数式通りにならないんだけども、一般的な基本原則があると、阿吽の呼吸に頼ることなく、タイミングが合うようになる。

賀川:原則から入ったほうが、上達は早いでしょうね。

岡田:うちは「レーン」という考え方をしていて、逆サイドにボールがある時サイドバックとワイドアタッカーが同じレーンにいてはいけない、というルールがあるんです。逆サイドバックがボールを持った時に、ワイドアタッカーがサイドに開いていたら、サイドバックは内側でボールをもらう。同じレーンにいると、パスのコースが限定されてしまうのですが、そういうルールをつくるだけでコンビネーションができてくる。面白いもので、そういう原則をひとつつくると、選手にはわかりやすくなる。状況ごとに「今のは内側に入った方がよかった」なんて言い始める。

賀川:今みたいに「なんでもできないといかん」というサッカーよりも、原則をつくったほうが若いうちからチームゲームの感覚を持てるようになると思うんですよ。「隣にボールが来た。あいつはこう動くから、オレは」とすぐわかる。ボールを持ってなんでもできるのはメッシぐらいですから(笑)。

岡田:バルサでは、トップから下部組織まで同じスタイルのサッカーをやっている。何でそれができるのかと言うと、原則があるからです。「パスをつなげ!」というだけでなく、何をどうつないで最後にゴールするのか、という原則を教えてあげないと。

賀川:もう一つは、シュートでしょうね。ペナルティエリアの近くまで来たら、蹴ってみる。蹴ろうとして相手が出て来たら、切り返して相手を抜けばいい。15〜16歳の頃に、シュートすることを怖がらない習慣をつけさせる。

岡田:今日の試合を見ていても「練習で入らないものが、試合で入るわけないだろう」と思うんですが、指導者がネガティブになってはいけないですね(笑)。

賀川:先日、中学生のストライカーに1日に何本シュートを蹴っているかと聞いたら、「30本」と言うので、「30本で上手くなったら天才だ」と言ったんです。昔は1日70本蹴りました。そのころ、慶応は100本蹴っていた。二宮洋一さんのころの慶応です。

岡田:代表のコーチのころ、練習が終わったあとにヒデ(中田英寿)が一緒にボールを蹴ってくれと言うので、ずっと相手をしました。「いつまで蹴るんだ」と言うと「高校のころは基本練習をやったけども、Jリーグに入って、戦術練習ばかりでシュートが下手になった。だからこうして蹴らないと」と言っていました。(中村)俊輔も、最後まで残って蹴っていましたね。

賀川:だからあの二人は別格になりましたね。

岡田:二人とも蹴る本数が違う。いつまでも終わらないんですよ(笑)。

賀川:彼らは蹴ることが好きで、上手くなって、上手いから楽しくて、より上手くなろうとする。チームのなかにそれを15〜16歳の頃からずっとやっていた選手が5人ほどいれば、攻撃の幅もひろがってきますよね。

岡田:もっと蹴らせないといけないな。

賀川:シュートを蹴る練習は時間もかかりますけどね。

岡田:僕らの現役のころはゴールキーパー専門のコーチはいなかったですよね。現役を上がってコーチになって、最初はゴールキーパー相手に蹴る仕事をするようになる。「変なところに蹴っちゃいけない」と真剣に蹴るのでシュートが上手くなった(笑)。現役のころにこれをやっておけばよかったと思いましたね。

賀川:僕は旧中学のとき、身体が小さかったから最初はマネージャーをやって、飽きもせずゴールキーパーにシュートを蹴り続けていた。1日に70本以上蹴っていたことになって、5年生になったときに試合に出て点を取るとみんな驚いていたけど、他の選手より僕の方が多く蹴っていたんですからね。

岡田:必ず上手くなりますからね。

言葉の大切さ

賀川:今治で新しいクラブを立ち上げたわけですが、選手、コーチ、監督、解説とサッカーにかかわる仕事は全部やってきましたね。

岡田:記者だけはやってないですね(笑)。

賀川:こんな仕事はやらんでもええけどね(笑)。選手として、早稲田、古河、それから指導者としてやってきて、それぞれ得たものがありますよね。

岡田:選手なら選手、コーチならコーチ、監督なら監督で、やりきれなかったこと、不完全燃焼が次につながっていった。選手として一流になれないという挫折があって「そう、じゃあ指導者で」となって、指導者をやってみて「自分はここまでかもしれない」という思いがあって、「次はオーナー」という感覚があるんですよ。今ではコーチをやりたいなんて全然思わないです。20年以上指導をして、日本代表の監督もやってきたのに、若いスペイン人のコーチがやってきてサポートの番号を言わせるとパスがどんどんまわるようになって、20年間「サポート!サポート!」と言い続けてきて、「何をやってきたんだ。オレがみたいなのがやってたら日本のサッカーだめだ」と衝撃を受けたんです。もっと新しいことができるコーチをサポートするというのがオーナーであり、社長であったわけです。

賀川:スペインのコーチには、選手を教える方法論や手順がありますね。

岡田:日本には「サポート」という言葉しかないけども、スペインには、「それぞれのサポート」を示す言葉があるわけです。「縦パス」にしても、いくつかの固有名詞がある。彼らは特別なことをやっているのではなくて、言葉があるんです。日本には言葉自体がない。

賀川:日本語だと、「左斜めへの縦パス」というような言い方しかできないですから、つくっていかなければいけないですね。

岡田:今は言葉づくりからやっています。うちの試合を見た人は、暗号を言っているように思うらしいですが、そうではなく必要な単語をつくっているだけです。

賀川:これまではそれが必要だと思わずに、漠然とやってきていた。

岡田:(デットマール・)クラマーさんに指導していただいた後も、ヨーロッパはどんどん進歩しています。日本はクラマーさんに教えてもらったままやっている。教えてもらったことは間違いではないけども、そこからのイノベーションがなかったんですね。

賀川:クラマーは日本のレベルにあわせてシンプルに教えただろうしね。これまでは「以心伝心で伝えた極意」も、これからは指導の表現力というものが大事になりますね。

岡田:うちのチームでは、まずトップに落とし込もうとしていますが、15、6歳で身についていないと、言われたことばかりやってしまう。

賀川:今日の試合で感じたのは、オーナーもサッカーの大権威だし、監督も実績十分で、監督・コーチが偉すぎるから、選手たちは試合の最中でも監督やコーチに何か言われるのを待っている。自分で「ここで勝負してやろう」というプレーがなくて、言われたとおりにやろうとしている感じやね。

岡田:そうですね。去年よりはましになったんですけどね。(笑)

賀川:今の日本のサッカーは指導法がしっかりしているから、早く上手くなりますよね。でも上手くなって、そこから先の「自分はこうしたいんだ」というものがないように思いますね。

岡田:16歳までに論理を教え込んで、あとは自由にしたら、論理は脳の旧皮質の方に入り込んで、あまり考えずにできるようになるんではないかと予測しているんです。ヨーロッパや南米などと比べると日本人は同じ年齢だと幼稚なところがある。今は大卒で入ってくる選手が、昔の高卒ぐらいの感覚で、驚かされますね。寿命が長くなったからかな(笑)。

ドイツでの発見、中国での冒険

賀川:中学2年生の時に初めて会ったけど、ボールを蹴り始めたのはいつ?

岡田:小学校6年生のときにメキシコ・オリンピックがありました。ぼくは野球をやっていて遊びでボールを蹴っていましたが、中学に入って本格的にサッカーをはじめました。あのころ小学校からサッカーをやっていたのは、埼玉、静岡、広島ぐらいしかなかったでしょうね。あと、神戸ですね。大阪でサッカーをやっている小学生なんていなかったです。

賀川:明星などでも中学からですね。

賀川:先日の加茂建さんとの対談でもあなたの話が出たんですが、「ドイツに行きたいと言ってお父さんを困らせている中学生がいる」という話を聞いて、「では会社に来てもらおう」ということになって、あなたがひょこっと現れたわけや。

岡田:最初は、親父が加茂さんに相談したんだと思います。

賀川:あのときはドイツ行きは叶わなかったけども、大人になってドイツにコーチの勉強に行ったときに、学んだことはありますか。

岡田:古河でコーチになったときに、選手時代に「こんな練習をしてほしい」と思っていたことをやってみたんですが、選手もチームも全然伸びなかったんです。2、3年やってみて、これはだめだと思って、会社に「留学させてほしい。行けなければ会社をやめる」という話をしたら、行かせてくれることになった。行ってみると、トレーニングの仕方や戦術の面では目新しいことは全然なくて、ドイツは大丈夫か、と思うほどでした。そこで学んだのは、監督の強さですね。ぼくらのころは、日本代表でメンバーが最初に集まると、初日はまず監督以下全員で宴会でした。ところが、ドイツではプロフェッショナルの監督と選手の立場の違い、厳しさがありました。好かれようとか、皆で仲良くとか、思っていないわけじゃないでしょうが、日本とはそこの「強さ」が全く違っていました。立場が違うんだ、ということを教えられました。

賀川:ドイツは監督が「オレはこういうチームをつくる」というところから始まる。日本はまず、「このメンバー全員で戦おう」ということになるんやろうけどね。

岡田:どちらも悪くないんですが、どうしても日本人は、嫌われたくない、人を切れないということがサッカーでもありましたね。

賀川:中国では?

岡田:サッカーの面で学ぶことはなかったですね。中国人は4人以上のスポーツは勝てないと言われています。上海の人と北京の人は外国人みたいなもので、「こいつは自分の足を引っ張るんじゃないか」と疑心暗鬼でチームにならないんです。試合に勝っても淡々としているし、負けても「自分のせいじゃない」と思っている。そこで、2年目の途中でキャプテンと副キャプテンを切って、若手中心で試合に臨んだ。オーナーも出てきて、新聞も大騒ぎでしたが、ぼくが進退をかけているということを選手もわかっていて、滅茶苦茶がんばってくれて勝ちました。ロッカールームでは皆が抱き合って喜んだ。「これがフットボールなんだ」と話をして、初めてひとつのチームになりました。そういう意味では日本人は楽ですね(笑)。

賀川:2000年に、中国の足球学校にいるクラマーに会いに行ったとき、クラマーが「中国がサッカーで勝つのは大変だ」と言っていました。

岡田:中国人には気持ちが伝わらないというけども、本当に真摯に訴え続けたら伝わります。今でも杭州に行くと、選手は皆寄ってくる。今治から中国にコーチを6人派遣して育成をサポートしているんですが、これが成果を上げている。向こうのオーナーがサッカー学校の計画を進めていて、小学校1年から高3年までサッカーはすべてFC今治のスタッフで教える。教える外国語は日本語。毎年、今治でサッカーと語学の研修を行う。そういう学校にしたい、と。ただ、円がこれだけ高くなると、まだこれからどうなるかわかりません。

「個」で勝つために

賀川:15年後に日本のサッカーはどうなっていてほしい?

岡田:日本人らしいサッカーが追及できたら、世界のファーストランクの国に入れると思っています。日本人は「個では勝てないから団体競技」と言われていますが、体操競技では個人が世界一です。彼らは常に新しい技を生み出している。サッカーでもそれが可能なんじゃないかという気はします。15年後ならば、いま、5歳から10歳の子どもたちが代表に入ってくるわけで、いけるんじゃないかな。

賀川:体操では、ひとつの演技をきちんと成功させるということを追求して、世界のトップに立っていますね。

岡田:体操の先生に「どうしてサッカーでは、『個では勝てないが組織で勝つ』と言うんですか。体操は個で世界一ですよ」と言われた。その考え方を改めないといけないと思って、日本人の体の特徴を徹底的に調べました。骨盤が後傾していて、これはフィジカル的には弱いんですが、能の人が正座からまっすぐ立てるように、体幹を強くすることで、日本人でもフィジカルの弱さをカバーできる。そういうトレーニングをやっているところはないかと探したらアリゾナにあった。行って、メソッドを学んだ。そうして日本人の特徴に合ったものを取り入れていけば、結構いけるんじゃないかと夢を見ています。フィジカルで彼らを超えることは無理でしょうが、対等近くにはいけるんじゃないかと思います。個で対等に近くなれば、組織や技術で負けなければ、十分勝てるはずです。

(2016年4月)


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